藤村操之辭世文

巌頭之感
悠々なる哉天襄、
遼々なる哉古今、
五尺の小躯を以て比大をはからむとす、
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーを値するものぞ、
万有の真相は唯一言にしてつくす、
曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。
既に厳頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、
大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

夏目漱石は36歳の時、国費留学生として2年間の英国留学より帰国した。漱石はラフカディオ・ハーンの後任として東京帝大英文科教授に就任した。漱石は第一高等学校で英語の教鞭をとっていた。藤村操は漱石の生徒だった。
 前任のラフカディオ・ハーンがユーモア溢れる授業を行い生徒たちに絶大なる支持を得たのに対して漱石の授業は無味乾燥で面白みのかけていたという。生徒・同僚のウケはよく無かった。
 藤村は自殺する一週間前、漱石の授業で宿題をしてこなかった。藤村は翌日も宿題をしてこなかった。漱石は「勉強する気がないなら、もう教室へ来なくていい。」と叱責した。藤村は黙ってうつむいた。
 5月21日、帰宅の遅い息子操の安否を気遣った母親が何か手がかりがないかと彼の机の引き出しを開けると、この箱を開けよ と書かれた杉の小箱があった。中には7枚の半紙に親戚縁者への形見の分配がしるされていた。驚いた母親が一高へ問い合わせると、この日操は学校を休んでいた。
 翌22日夜、藤村から母宛に一通の封書が届いた。住所は栃木県日光町小西旅店寓と書かれていた。中身は遺書だった。
「不幸の罪は、御情の涙と共に流し賜いてよ。18年間の愛情の鴻恩は、寸時に忘れざれども、世界に生きて益なき身の生きてかいなきを悟りたれば、華厳の滝に投じて身を果たす。」
 23日、家族が日光華厳の滝を訪れると、滝落ちる瀬戸際の石の隙間に藤村の傘が突き立てられていた。そして近くの大木の幹に「厳頭之感」が墨書されていた。
 藤村の自殺を聞いた漱石は狼狽し、生徒らに「藤村はどうして死んだのかい?」と尋ねたという。
 哲学青年が厭世観を抱き思想上の悩みから自殺をしたことは世間に大きな衝撃を与えた。華厳の滝は自殺名所とされ、この年11名の自殺者、15名の未遂者をだした。
 藤村の自殺から一年二ヶ月後、漱石は代表作「我輩は猫である」の連載をはじめた。その中には「打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。」という明らかに藤村を題材にしたユーモラスな記述がある。
附厳頭之感の写真



「悠悠哉天壤,遼遼哉古今。五尺小軀,難測大空。何瑞修哲學,何權威之有。萬般真相,一言蔽曰,『不可解』。我悶懷此恨,終決意至死。既立巖頭,胸臆安篤,始知:大悲觀等同大樂觀。」


一九○三年五月二十二日,東京帝大預科第一高校新鮮人藤村操,十七歲,在日光華嚴瀑布頂端樹幹,題刻上述遺言後,投崖身亡。事件經報章披露,社會騷動。受到這則奇特的「大文字」(岩波書店創辦人岩波茂雄形容)感染,就像被死神的箭射穿心臟,也像背脊上了發條、中了邪,百餘名哲學青年文學青年,陸續趕赴華嚴瀑布,接踵自殺。

遺言中的「何瑞修」,指的是「哈姆雷特」第一幕第五場景,見鬼的哈姆雷特,對著學者友人何瑞修嘆說,宇宙間無奇不有,哪裡是你的哲學全能料想得到的。

好死不死。藤村自殺前一星期,擔任英文老師的夏目漱石,斥罵他:「課愛上不上的話,甭來教室了。」誰知七天後,這名常沒繳交作業的學生,竟然尋短見!夏目漱石嚇壞了,既尷尬又驚慌,頻頻探問其他同學:「你們知不知道,藤村君為什麼要自殺啊?」深怕因自己的一句氣話,造成學生想不開,葬送寶貴的青春。

那時候,夏目接替小泉八雲(原名Lafcadio Hearn,1850~1904,英國人,生於希臘,一八九六年歸化日本,以採集傳說「怪談」著稱),擔任英文講師,教學一板一眼,枯燥乏味,不如小泉授課時生動風趣。

藤村操的自殺,大大衝擊了夏目漱石,使得他留學英國時罹患的憂鬱症老毛病,又犯了。這件陰影想忘也忘不掉,後來他在小說「吾輩是貓」、「草枕」裡頭,都有將「藤村操事件」記上一筆。從此,他也變得身段柔和許多,非常愛護新進晚輩,在講究師徒名份的明治文壇,儼然是位親切的大家長。

岩波書店創辦人岩波茂雄,當年就讀第一高校二年級,聽聞學弟「死得那麼哲學那麼美」,心戚戚焉,總想輟學輕生,還好同窗友人勸阻,才打消傻念頭。否則,今天的日本文化版圖,鐵定要削缺一大塊了。
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